宿る、、、
最近のニュースを見てモラルとかルールに関して色々感じることが多々あるので再起します。
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沖縄には御嶽と呼ばれる場所が数多くあり、その御嶽がパワースポットとして紹介されていることもしばし。
私も御嶽にお邪魔することは多々あります。
御嶽では「本日、ここの地に立てたこと感謝致します」とご挨拶して、少しだけ場の空気を感じさせてもらいます。
御嶽は『祈りの場所』です、神様と通じる場所でもあり、”神様が降り立つ場所”と言われています。
同じ御嶽に幾度となく訪れるとその場のエネルギーの変化にも気づくのです。
いつかの夏もそうでした。
いつもご挨拶に行く御嶽に足を踏み入れた時「あれ?」と、なんとも言いようのない感覚がやってくるのでした。
「また、何かが変わったな」
「どんどん閉じていっている」
なんだか空っぽ感というか寂しげな気がしました。
“虚ろ”と言えばいいでしょうか。
現地でそんな風に感じていたのでした。
寂しげな気がしたことに対しての答えは思ったより早くやってきました。
とある情報が耳に入ってきたのです。
「もう、あそこには神を感じない」と現地の方が言われているとのこと。
それには理由がありました。
御嶽には現地の方・選ばれた方以外入っては行けない場所・領域が必ずあるのですが、、、
「神様からのお告げがあったから」など筋が通らない理由で許可なくズカズカ入ってしまう人・無礼者もいるとのこと。
それを聞いた私はため息しか出ませんでした。
主だった御嶽には注意事項の看板が掲げられ、ルールやモラルについて書かれています。
『これ以上は入らないでください』10年前に比べると、そんな看板が多く見受けられます。
看板が掲げられているにも関わらず、そんなことをする人がいるとは。。。
ため息ばかりです。
『これ以上は入らないでください』の看板の先のエネルギーを実際に感じると、、、
「入れない、入ってはいけない、入ろうとも思わない」と私は感じるのです。
私だけではありません。
一緒に行く家族も、訪れたことのある友人も一様に「あそこは入れない。入ろうとも思わない」と感じています。
『入れない、入ってはいけない、入ろうとも思わない』のは、畏れ多いからです。
土地の磁場自体もしかりですが、長い歴史の中『神様が降り立つ場所』を真摯な気持ちで護ってきた人達の想い、祈りの想い、、、
そんなエネルギーの集合体を感じとったら、入れないのです。
“神様からのお告げ”を感じとることが出来る人ならば、なぜ”そこ”を感じ取らないのか。
私には不思議でなりません。
礼儀はどこへいった、、、
現地の人の考えや気持ちは関係ないのか、、、
先人からの想いを継いできた”人”がやってきた過程は関係ないのか、、、
歴史の刻みは関係ないのか、、、
自分だけ特別なのか、、、
自分だけは大丈夫なのか、、、
正直、不思議でなりません。
「そうだよな〜、誰だって自分の家・居場所・領域に勝手にズカズカ入ってきたら驚き超えて、護りの怒りが湧くよね」(私の心の声)
「モラルのない人から自分の領域守るためには強い結界を張ることになるな」(私の心の声)
「そうか、<どんどん閉じていっている>のはそういうことだったのか」(私の心の声)
私が感じた”虚ろ”の理由は切ないものでした。
私は思うのです、、、
神様の声を感じ聴くことが出来るのであれば、他の声も感じ聴こえるのではないでしょうか。
現地の人の気持ち、先人の想い、歴史の刻みの声も感じ聴こえるのではないでしょうか。
実際、初めて沖縄へ行った時に訪れた”とある御嶽”で、、、
『どこぞのもの』感が溢れた鋭い眼差しの人々(亡くなった人達の気配)を感じてゾックとした経験が私にはあります。
あの時の視線は凄かった。
一緒に行った友人も「何かの視線を感じて怖かった」「自分にも見えた」と口々に言っていました。
また”とある御嶽”では樹々の森の中から野生の鶏がこちらへ歩いてきて『ここから入らないで』の標識の場所で立ち止まって私達をじっと見つめていました。
ある時は島の犬が、ある時は蝶々が、、、『ここから入らないで』と結界の印から私達を見るのです。
「お邪魔させて頂いています」
「沖縄にこの地に立てたことの感謝を伝えるためにここに来ました」
そう伝えると、人々の鋭い眼差しはゆるみ、動物達は森の中へ帰っていく。。。
そんな経験をしています。
また現地の人から歴史や想いを聞ける機会が不思議と多いのですが、昔に聞いた、島の"おばあ"の言葉が蘇ってきます。
「沖縄は素晴らしいところだから来たいのはわかる。ただ、置いていっちゃうんだよ。ここには要らないものをみんな置いていく。御嶽は本来祈りの場所」
あの言葉の深さが今ならわかります。
あの時の"おばあ"の目には、ほんの一瞬だったけど怒りを感じたなぁ。
そして私は背筋が伸びたなぁ。
真摯な気持ちは自然と伝わります。
「一緒に掃除するかい」と現地の護り人にふと声をかけられて、御嶽を掃除したことがあります。
「一緒についてくるかい」と現地の人にふと声をかけられて、素晴らしい場所へ連れて行ってもらったことがあります。
「一緒に食べないかい」と現地の人にふと声をかけられて、ご飯を頂きながら島の歴史や文化を詳しく聞かせてもらったことがあります。
どれも素晴らしい経験でした。
おたがいさま、おかげさま。
双方の気があった時、自然な流れの中で経験が生まれています。
完璧な人はいない。
誰だって失敗もする。
「良かれと思って」という言葉もあります。
歴史や文化の違いがわからなくて、勉強不足などでたまたまやってしまった行動もあるでしょう。
神様からの言葉を真摯に受け止めた結果の行動でもあるでしょう。
ただ、やはり現地・実際に暮らしている人達の考えや想いや歴史を”尊重する”ことを忘れてしまっては神様の想いとはズレが生じると私は感じています。
『1人1人の心に神様が宿っている』
「一緒に掃除するかい」
「一緒についてくるかい」
「一緒に食べないかい」
どの言葉も強制的ではなく、「もし良かったら」と私の想いを尊重してくれいる優しさや思いやりが込められていました。
あのお誘いは神様からの伝言、神様の声だったのでは、、、
と今は思っています。
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